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人は自然を見つめることから始めた。やがてその眼差しは、あらゆる学問へ、検めるべきあらゆる問いへと枝を広げていった。そうして積み重ねられてきた教養を、いまの時代の手段をもって形に変えること―。
それこそが、私たちに託された役目である。
その問いの答えを、季節ごとに、情景ごとに、ひとつずつ書き留めていく「陰翳録」。


第十灯『式神(しきがみ)』
ところが、私の雇う人間たちが作ろうとしているのは、それとは、まるで逆のものでした。
わざと、人間に近い、不完全な者を作ろう、というのです。
感情的で、疲れると力を出せず、こちらの物言いひとつで、反応が変わる。
とにかく、手のかかる相手を。
なぜ、そんな手のかかるものを、わざわざ作るのか。

白社長
1 日前


第九灯『まれびと』
さて、私の雇う人間たちが、いま作っているものの話です。
彼らは、実在する街や工場を、そっくり写し取って、画面のなかに双子をこしらえる「デジタルツイン」を、時おり手がけます。
本物はそこにあるのに、その双子が、遠くの人のもとへ、やって来る。
さらに彼らは、「メタバース」というものも作る。
こちらは、もっと不思議です。
そこには、実在しないものも、過去に消えたものも、まだ来ぬ未来のものも、そして、人の頭のなかにしかない幻さえも、呼び出して、訪れさせることができるのだといいます。
遠い場所だけではない。
過ぎた時も、来ぬ時も、心のなかの景色までもが、人のもとへ、やって来る。

白社長
2 日前


第六灯『ミツバチの踊り』
「一匹の働き蜂が、遠くの花畑を見つけて巣に帰ってくる。
すると暗い巣の中で、仲間に囲まれながら、お尻を激しく振って、8の字を描くように歩きまわる。
この「8の字ダンス」こそ、『花のありかを告げる、蜂の言葉』」
なのだそうです

白社長
7月6日


第四灯 俤(おもかげ)
XR、メタバース、デジタルツインと人は新しい言葉で呼びますが、その手のなかにあるのは、万葉の歌人が握っていたものと、同じ祈りなのだと思います。
形のないものを、確かにここに在らせたい、という。

白社長
6月30日


第三灯『白き社長~肩書は幻想』
社長、部長、責任者―そうした名は、その人自身というより、その人の上にそっと載せられた、一枚の面のようなものです。
そして面というものは、ただの飾りではありません。
ひとたびそれをかぶれば、まわりの目がそこへ集まり、判断が求められ、責任が寄せられてくる。面とは、重さの集まる場所なのです。
だからこそ人は、その面を軽々しくはかぶれない。かぶった以上は、集まってくる重さを引き受けねばならないからです。

白社長
6月27日


第二灯『はじまりの仮想現実』
仮想現実―バーチャルリアリティという言葉は、つい近頃のもののように響きます。
眼前に立ち上がる三次元の世界、頭にかぶる装置、計算機の生み出す光の風景。
けれど、目の前にないものを心のなかにありありと立ち上げ、あたかもそこに在るかのように畏れ、祈り、もてなす―その営みそのものを仮想現実と呼ぶのなら、人はそれを、装置を持つよりも、文字を持つよりも、はるか以前から行ってきたのだと思うのです。

白社長
6月27日


第一灯『梅雨の付喪神』
店の天井も壁も漆喰の白で、本来なら明るくあるべきはずのものを、灯りはわずかな白熱灯の、ほのかな赤みだけに任せて、わざと薄暗く沈めてある佇まい。
その薄暗がりのなかに、古い食器やこまごまとした小物が、半ば影に没しながら並んでいます。
ところが、ただ一方の窓からのみ、雨を透かしてきた蒼い外光が、まるで遠慮でもするように、そっと忍び入ってくる。
すると、その光の届く一隅だけが、ほのかに濡れたように浮かび上がり、あとは深い影のなかへと、光は溶けていきます。
この、明るみと暗がりとの、なんとも言えない曖昧な境目のあたりに、私は美を覚えます。

白社長
6月27日


陰翳録をはじめるにあたって ― 「第一灯 / 付喪神」掲載前に
「陰翳録」技術は、未来へ人の思いを伝える新しい器のひとつにすぎません。
けれど器が新しくなったからといって、そこに込めるものまで、新しくなければならない理由はないと私たちは考えています。

白社長
6月27日
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