私が防災教育に携わる理由『防災小説』と48段の階段
防災が日常の一部だった故郷
私は、高知県の最南端に位置する土佐清水市で生まれ育ちました。
太平洋に面したこの地域では、南海トラフ巨大地震による強い揺れや大津波が想定されています。私が通っていた学校でも、避難訓練や防災学習が日常的に行われており、幼い頃から地震や津波について考える機会が多くありました。
そのため、私にとって防災教育は、何か特別なことを学ぶ時間というよりも、学校生活の中に当たり前に存在するものでした。
しかし、今振り返ると、当時の私は災害の恐ろしさや避難の重要性を知っていても、実際に災害が起きたとき、自分や周囲の人がどのような状況に置かれるのかまで、十分に想像できていたわけではなかったと思います。
そんな私にとって、防災について考える一つの転機となったのが、中学生の頃に取り組んだ「防災小説」でした。
「もし、明日地震が起きたら」― 防災小説との出会い
2016年、私が通っていた中学校では、慶應義塾大学の大木聖子先生と連携した防災教育の一環として、「防災小説」という取組が始まりました。
防災小説とは、近い未来に大地震が発生すると仮定し、その災害に遭遇する自分自身を主人公として物語を書く教材です。普段生活している地域を舞台に、地震が起きた瞬間から避難するまでの様子や、その後の生活を具体的に想像していきます。
そして、物語の最後には必ず自分なりの「希望」を描くという特徴があります。
私もこの取組を通して、自分の住む地域で南海トラフ巨大地震が発生したらどうなるのかを考えました。
そのとき、特に気になったのが、自宅近くの避難場所へと続く神社の階段でした。
その階段は48段あり、傾斜も急です。普段なら何気なく通り過ぎてしまう場所ですが、地震が起き、津波が迫る中で避難するとなると、話は違います。
「自分は上れるかもしれない。でも、足の不自由な高齢者の方はどうするのだろう」
「避難場所が決められていても、そこまでたどり着けない人がいるのではないか」
そんな疑問を抱いたことを覚えています。
私が書いた小説では、避難する人々が協力し、高齢者の方を背負って階段を上る場面を描きました。
もちろん、現実の災害では、物語のようにすべてがうまくいくとは限りません。それでも、自分だけが助かる方法を考えるのではなく、地域の人々がどうすれば一緒に避難できるのかを考えたことは、今でも印象に残っています。

いつもの景色に隠れていた、見過ごしていた危険
防災小説を書く前から、私は津波の危険性や避難の大切さを知っていました。
しかし、実際に物語を書こうとすると、知らないことや考えたことのない問題が次々と出てきました。
避難場所までの道は本当に安全なのか。家族が別々の場所にいたらどうするのか。自分が避難できても、周囲に逃げ遅れている人がいたらどうするのか。
それまで当たり前のように覚えていた防災の知識が、自分の生活や地域の風景と結び付いた瞬間だったように思います。
また、この小説は家族にも読んでもらいました。私が書いた物語をきっかけに、家族も災害時に自分たちができることについて考えてくれました。
この経験から、防災教育には、学んだ本人だけでなく、その周囲の人にも考えるきっかけを広げる力があるのではないかと感じました。
そして何より、実際に災害を経験しなくても、想像することによって初めて気づける危険や課題があることを知りました。
あの日の想像が、今の「体験する防災」へ
現在、私は白獅子でXR技術を活用した防災教育に携わっています。
中学生の頃に取り組んだ防災小説と、現在のXRによる災害疑似体験は、一見すると異なる教材です。
一方は文章を通して災害を想像し、もう一方は映像や音、空間的な表現を通して災害を疑似体験します。
しかし、どちらにも共通する大切な点があると考えています。
それは、災害を遠い出来事として捉えるのではなく、「もし自分がその場にいたら」と考えるきっかけをつくることです。
中学生だった私は、防災小説を書くことで、普段見慣れていた48段の階段に、これまで気づかなかった避難上の課題を見つけました。
現在のXRによる防災教育でも、体験した方が自分の住む地域や普段の生活を思い浮かべ、今まで気づかなかった危険に目を向ける瞬間があります。
そうした姿を見るたびに、かつて自分が防災小説を通して感じたことと重なる部分があるように思います。
ただし、災害をリアルに想像したり、疑似体験したりすることだけで、十分な備えにつながるわけではありません。
体験によって生まれた気づきを、避難経路の確認や家族との話し合いなど、具体的な行動につなげていくことが重要です。
これは、白獅子が掲げる「See, Change, Act! ― 見て、変わり、行動を。」という考え方にも通じています。
防災教育を、日常の行動につながるものに
私が防災教育に関心を持つようになったのは、特別な災害を経験したからではありません。
災害が身近に想定される地域で育ち、防災について学ぶ中で、知識を得ることと、自分のこととして考えることの間には違いがあると気づいたからです。
そして、防災小説を通して、自分の身近な風景の中にも、まだ気づいていない課題があることを知りました。
あのとき気になった48段の階段は、今でも私にとって、防災教育について考える際の原点の一つです。
避難場所があることを知っているだけではなく、そこに誰が、どのようにたどり着けるのかまで考えること。
災害の恐ろしさを伝えるだけではなく、その中で自分に何ができるのかを考えられるようにすること。
そして、自分自身の安全だけでなく、同じ地域で暮らす人々の状況にも目を向けられること。
防災教育を通して、そうした視点を育むことができればと考えています。
中学生の頃、物語の中で描いた「誰かと協力して避難する」という希望。あれから年月が経った今も、その思いは私の中に残っています。
これからも、一人ひとりが災害を自分のこととして捉え、身近な人とともに考え、具体的な行動へとつなげられるような防災教育に携わっていきたいと思います。

※防災小説に関する参考記事・資料
防災小説の取り組みについては、以下の記事・資料で紹介されています。





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